2009年12月31日

機能していなかった以前の貸金業取締法

現代における貸金業への規制は、貸金業法という法律によって行われています。

ただ、この貸金業法が制定されるに至るまでは、多くの失敗、試みが行われてきました。

1949年に制定された貸金業取締法も、その一つです。


貸金業取締法では、貸金業者の事前届出を義務付けたり、監督官庁(現大蔵大臣)によって検査、監督が行われるという規定を設けていました。

それまでの法律と比べるとかなり締め付けが厳しくなり、この法律の制定によって、高利貸しを一掃する事ができるかと思われていました。


その一方、貸金業者に対して適用される『上限金利』に関しては、基本的にはこの法律では触れていません。

1947年に既に制定されていた『臨時金利調整法』という法律内で定められていた最高金利をそのまま準用する手はずでした。


しかし、この臨時金利調整法では実際に金利の提示がなされず、もちろん、貸金業取締法でも最高金利の制限が明記されなかった為、結果的にはほとんど機能しない法律となってしまったのです。

当然ですよね。

金利が一番の問題となっていたはずなのに、その金利について何ら制限がなされていないのですから。

元の木阿弥もいいところです。

今では考えられないような事態ですが、実際に昔はこのような問題が発生していたのです。


この問題によって、高利貸しはさらに増加することになってしまいます。

結局、貸金業取締法は1954年にあえなく廃止され、その代わりに出資法が制定されることになりました。

貸金業法制定以前の規制はどうだったのか

1983年、貸金業法という法律が制定されました。

これは、それまでかなりやりたい放題となっていた貸金業に対し、一定のモラルを設ける為です。

では、この貸金業法制定前に規制が全くなかったかというと、そういうわけでもありませんでした。


貸金業という職業はかなり昔から存在しており、日本では1877年に『太政官布告による旧利息制限法』という規制が設けられ、そこから貸金業に対しての金利の上限を定めていました。

つまり、100年以上前には既に貸金業に対しての規制が行われていたということですね。


その後、昭和の時代に突入し、今度は警視庁令で『金融業取締規則』という規則が設けられ、これによって貸金業の規制がさらに強固なものとなりました。

当時、貸金業は許可制で、主に広告の規制や契約書面における交付規制といった締め付けが行われていたようですね。

こういった法律は、戦後の新憲法成立の際に廃止されました。


貸金業の歴史が動いたのは、戦後すぐと言われています。

戦後の日本はいうまでもなく非常に貧しい状態で、多くの庶民は食べる事にも困り、生活ができない状態でした。

そういった人たちの足元を見て、高利貸しが続出したのです。

多くの庶民が、高利貸しの犠牲になってしまう結果となりました。


そこで、1949年に『貸金業等の取締りに関する法律』が制定され、高利貸しに対しての規制を厳しくしようと試みます。

いわゆる『貸金業取締法』ですね。

ただ、この貸金業取締法に関しては、かなりの点で問題が発生してしまい、あまり機能しなかったといわれています。

貸金業法とは何か?

お金を借りるという事を実際に体験した事がある人は、かなり多いかと思います。

ある程度の年数生きていれば、少なからず何らかの局面でそういった事を余儀なくされる事もあるでしょう。

例えば、買い物に出かけたけど財布の中にほとんどお金が入っていなくて、後ですぐ返すからと友人や兄弟にお金を借りる、というくらいなら誰でも経験している事かと思います。


では、お金を親しい人ではなく金融関連の会社から借りるという行為に関してはどうかというと、その数は一気に少なくなるでしょう。

しかし、それでも以前と比較すると、だいぶ多くの人がお金を金融会社から借り入れるようになりました。

いわゆるキャッシングですね。


このキャッシングという行為を、あまり抵抗なく行う人が増えてきているようです。

その理由は多数あり、例えばクレジットカードで簡単にお買い物感覚でキャッシングできるようになるなど、手軽な手法が浸透してきている点や、若年層のトラブルに対しての意識が希薄になっている点などが挙げられるかと思います。


そして、最も大きな点は、貸金業法の改正が挙げられるでしょう。

貸金業法というのは、1983年に公布、施行された貸金業に関する法律です。

主に、お金を貸した際に発生する利息や支払いについての規制を目的とした法律で、いわゆるキャッシングのガイドライン的な法律でした。


ただ、この1983年施行の貸金業法には欠陥も多く、それで多くの人が苦しむ事となったのです。