貸金業法が制定されるまで、日本の貸金業に対する規制というものは紆余曲折を経ています。
貸金業法に辿り着くまで、幾度かの見直し、あるいはフルチェンジを余儀なくされる事もありました。
そんな中、1954年に制定されたのが、「出資法」と呼ばれる法律です。
この出資法にも、問題点はありました。
前身の貸金業取締法が不手際によって金利について触れることがなかった事もあり、当然出資法では金利の上限規制について規定していました。
ただ、この規制はいわゆる実質的なお飾りとなってしまいました。
というのも、貸金業における実態調査の目的を有しているに過ぎず、貸金業が開業の際に届出をしなくてはならない、報告徴収をしなくてはならない、立入検査を実施するという内容であったにも関わらず、それが実際に適用されていたかというと、ほとんど適用されていませんでした。
つまり、見せかけだけで、実際には意味のない法律だったということです。
こういった、定義だけしっかりしていても実際に書かれている内容を実施している訳ではないという法律は、今でも多数存在しています。
その為、政治に対する不信感が常に一般人の間には流れているのでしょう。
特に貸金業は、戦後の日本におけるお金のない庶民にとって、最後の助け舟となる存在でした。
その貸金業にやりたい放題されてしまうというのがどういった事か、想像に難くないかと思います。
ある意味、戦後すぐの焼け野原以上に、多くの人が人生を焼け野原にしてしまったかもしれません。